こんにちは!石川県で現在は福祉有償運送事業を立ち上げている西と申します。
2年前の4月15日に脳梗塞を発症、その後すぐにクモ膜下出血の発作を起こし命は失わなかったものの左脚と左手に麻痺が残り、自分自身が要支援1と障害4級となり、その経験から「同じような境遇になってしまった人達のお役に立ちたい」と思うようになり、移動を支援するための法人を設立しました。
脳血管障害から生還し動けるようにリハビリし、法人を設立するまでの記録です

クモ膜下出血からの生還、左脚の麻痺を乗り越え、起業するまで

いきなり左手と左脚がしびれ始めた

もう2年も前の事。令和5年の4月15日、左手で持って通話していたスマホがいきなり重く感じ始めて「あれっ」って思うと同時に左脚に力が入らなくなってきました。
そのまますぐに救急車を呼ぶべきだったのですが、暫く休んでいると、普通の感覚に戻ったので、なんとその日は普通に仕事を行ってしまいました。
今から考えると、とても無謀な事です。下手すると、あのまま仕事場で一人で冷たくなっていたかも、、、
次の日MRIをとって診察していただいた先生は「もう少し来院が遅かったら、亡くなっていたでしょうね
とおっしゃってました。
片側にしびれを感じたら、直ぐに救急車を呼びましょう。10分程度の差で生死が分かれるそうです。

脳梗塞の手術は成功したが、、、

診断を受けたその日に脳内の血栓を取り除くカテーテル処置をしていただきました。
その結果、詰まった血管の先の血流が再開されました。脳細胞もそれ程破壊されなかったようで、無事に意識が戻りました。「これで、リハビリ頑張って復帰できる」と思っていたのですが、その5日後、糖尿病でボロボロになっていた血管が、復活した血流に耐えられなくなって脳の中で出血を起こしました。クモ膜下出血での緊急手術です。

脚から頭の中にカテーテルが入ってくるのを感じながら、、、

クモ膜下出血を起こしたのが、病院内でしかも再検査のため集中治療室でストレッチャーにのった状態だったので、そのまま局部麻酔されて、レントゲン撮りながら出血を止める処置をカテーテルで行ってもらいました。意識がある状態でやる手術なので、脚の血管から頭の中までカテーテルが侵入して来るのがわかるんです。怖かった

もし出血したのが病院の中ではなかったら、もう自分は生きていなかったと思います脳の中の出血がどれぐらいになると生命が断たれるのか知りませんが、発作が起きたのが病院の中でしかも検査の準備をしていた状態だったので、最速で手術が行われた事で命拾いしました。「幸運で助けられたこの命、人様のため、世のために貢献したい」と思いました。

ベッドに寝たきりで2ヶ月、筋力が低下して歩けなくなった

術後数日たって、なんとか言葉を発することができるようになり、ご飯も食べるようになってくると「歩きたい」「病室の外が見たい」という欲求が出てきます。
ところが、自分は腕に点滴、鼻から胃に栄養チューブがつながれていて、起き上がることも出来ませんでした。ある日どうしても移動できないことが我慢できなくなり、自分で鼻のチューブを抜いて、ベッドの柵を外して外に出ようとしてしまいました。
集中治療室は大騒ぎになり、看護師さん激怒してました。

自業自得なのですが、その日から2ヶ月間、自分は右手をベッドの柵に縛り付けられ、4方向を柵で塞がれて、自力でベッドから降りる事を禁じられてしまいました。
それでも懲りずに、柵に繋がれた拘束具を自分で外そうとしていたら、両手の指を使えないようにするミトングローブというモコモコの手袋をつけられました。

毎日、病室の天井しか見えない一日を送っていると「好きな時に行きたい場所に行ける」っていう移動の自由があるということがとても大切なことなのだと解りました。人間だけでなく生き物全ての遺伝子に組み込まれている本能なのではないでしょうか。動物なら獲物を求め、植物ならより日当たりの良い土地に生えようとする移動の本能

この体験が「要支援者要介護者様の移動をお手伝いし、寄り添いたい」と志す素となっています。


 

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